妊娠発覚、子宮外妊娠疑い、流産宣告、奇跡の生還そして今。

無題1

こんなことを公開する必要もないかもしれない。だけど、隠す必要もないことだし、誰かの気づきや理解に繋がればいいなと思い、書き記すことにした日記です。
以上でも以下でもない、ありのままの34歳の女性の記録です。

※とてつもなく長いです。あえて1つの記録にまとめました。


2018.9月下旬

体調が明らかにおかしい日が始まった。異様に熱っぽく、異常な眠気に襲われる。この瞬間から(妊娠したかも・・・)という直観みたいなものはあった。ただ、確信は何一つないので自分の心に秘めながら、毎日過ごすことにした。

1日1日が過ぎるのが物凄く遅く感じた。容赦なく体調は悪くなっていく、だけど妊娠説が自分の中で浮上している以上、薬を飲むことは我慢しようと耐えることにした。

2018.10月1週目

家に帰るとぐったりして、ご飯を食べるのもしんどく感じるほどになってきた(私はどれだけ風邪で熱が出ようと食欲だけは無くなったことがないほどなのだ)どうだろうなぁと思いながら初めて自分で検査薬を買ってきて、妊娠検査を行った。

結果は陰性。

おかしいな、と思った。ここであれ?違ったのかな?ではなく、結果が出ない事におかしいと思うあたり今思えばすごい感覚だと思う。ここのあたりからずっとグーグル検索する時間が始まった。こんなに体が熱い、頭が割れそうに痛い、食欲も無い、それなのに陰性反応しか出ない。

ふと頭に浮かんだ人がいた。それは院長が以前話をしていたことがある人だった。院長の知り合いの方の奥様で産婦人科医の先生がいることを。すがる思いで院長にその先生を紹介して頂きたいと連絡をとった。

すぐにLINEを繋いでくださり、産婦人科医のH先生と繋がることができた。この先生がこれまたすごい先生で・・また改めて紹介したい方。

現在の症状、周期から伝えれる情報すべて話すと「まだ妊娠していても陽性反応がでない可能性がある。もう少し待ちましょう」とのことだった。

2018.10月2週目

1週間の中で3回大阪~名古屋の往復がある週だった。本来普通に行くと、1時間半で行ける場所に3時間時間がかかった。少し歩くだけで息が切れる、体感温度は39度近くありそうなほど体は熱くて仕方なかった。

移動がしんどくて徒歩10分が辛すぎて、タクシーに乗ると「はぁ?すぐそこだけど」とむちゃくちゃ嫌な態度を運転手さんにとられる。。「しんどくて・・乗せて頂けませんか・・」とお願いして何度か近距離をタクシー移動するほどだった。妊婦には見えないし、妊婦さんのバッチも付けてないし、ただのずぼらな女と思われてるんだろな・・と悲しくなった。

新幹線で新大阪に着いた時、しんどくて降りることもできなかった。無理だ、乗り過ごそう・・新神戸まで行った。涙がでた。。

検査薬でようやく陽性反応が現れる。病院に電話をすると、先生に驚かれた。それもそのはず、妊娠しにくいといわれていたから。でも良かった!と喜んでくださり、来週検診においでね!とのことだった。

この辺りは食欲もなく、体力もなく出来る限りソファーで横になる生活を送る。

夫が仕事終わりに「何か買って帰ろうか?」と連絡が入り、「しんどくて立ち上がるのも辛いから、フルーツだけ買ってきてくれる?」と伝えた。私の中ではサッと洗って食べれるいちごか、サクランボかシャインマスカットだった。なのに夫が買ってきたものは、梨とカボスだった・・・梨?!皮むく体力ないって・・と思ったが、次にカボス!?!!!には、はぁ?!!と怒りというか・・何とも言えない感情が湧いた。。今思えばむっちゃおもろい!と突っ込めるが、当時はなんでやねん!と結局一口も食べずに眠りについた。
(翌朝台所を見ると、いろんな切り方をしたカボスが散らばっていて、四苦八苦したのかな?とかいま見えてちょっとかわいそうになった)

この週はハードスケジュールだったので、夜家に帰っては大丈夫かな・・と不安になって毎日検査薬で陽性反応を見て安心に変えていた。

ただ気持ちが安定せず、情緒不安定になっている自分にも気づいていたがどうにもコントロールができなかった。他人からの些細な指摘や意見に過剰に反応したり落ち込んだり・・笑顔が無いと指摘された時には心の中で「こんなに必死に頑張ってるのに!」と叫び、家でひたすら泣いた。相手からするとなんの事情もわからないのだから当たり前だと思うが、それを受け入れられない自分がいた。

夜中寝れずに、気持ち悪くて腹痛もひどくなった時、いつも時間かまわずH先生にLINEを送った。H先生は常に欲しいアドバイスを的確にくださった。本当に救われた。

名古屋で開催されたセミナーが無事終わり、家に帰ると受講してくださっていた先生からメールを頂いた。「今日体調悪そうに見えましたが大丈夫でしたか?」と。その先生はスタッフマネジメントがさっぱりわからない!と言われていたが、まさか見抜かれたことに先生絶対に人を見ておられる方だな・・と感じた。

2018.10月3週目

待ちに待った診察日。もちろん心拍が確認できるものと思い込んでいた!だけど、先生からの第一声は「うーん・・・見えないなぁ・・」
一瞬で楽しみが不安へと変わった。「もう心拍が確認できる頃かと思ったけど、見えないから、一応他の検査しておこうか。結果によってはすぐ対応しないといけないかもしれないから明日の朝9時に結果を聞きに電話かけてきてね」嘘でしょ・・・。その日は夫の帰りと時間が重なったので、夕食を食べに行くことに。この時食べたすき焼き、不味かったなぁ。。(結構いいお値段する本来はとても美味しいお店)大好きな水菜のシャキシャキ感さえ噛むのがしんどかった。気を使った夫は「霜降り肉頼もうか!」と一番高いお肉を注文。油が多すぎて1切れが限界だった。

翌日の朝、仕事を少し抜けさせてもらい病院へ電話をかける。結果は、問題なし。また週末に検査に行くことに。ほっとした。

このころには、周りに「体調悪い?」と言われ始めていたので現状を伝えることにした。

車の運転ができず資料を家まで運んでくださったY先生は「大丈夫ですか?明日確か名古屋ですよね。僕車で送りましょうか?」とこんな提案までしてくれた。こんな発想がすぐに出てくる先生に感動した。もっと人に寄り添うことの範囲ってあるな、と考えさせられた。

本当に皆が優しく全面サポートしてくれて感謝しかなかった。

前から決まっていた実家の広島へ行く予定日。迷ったが私が行くことを楽しみにしてくれているからやっぱり予定通り行こう。そう決意し、検査薬を包装してプレゼントっぽく包んで持って行った。親に伝えようかどうしようか迷ったが、体調があまりにしんどくなり心配かけるので伝えることに。

「これプレゼント!」と母に手渡すと、「何々??」と包みを開けた。一瞬で驚くだろうと思っていたのに拍子抜け。「ん?何これ?お味噌汁の塩分濃度はかるやつかな?」の母の言葉にはずっこけそうになった。「よく見て」と言うと眼鏡をかけて「陰性・・陽性・・・え?!!赤ちゃんできたん?!!!」「うん」と答えたその瞬間から母も父も祖母も大号泣だった。

「こんな日が人生で訪れるなんて思ってなかった!」母のこの言葉にこれ以上のことは何も言えなかった。

2018年10月3週目週末

検診へ。結果は「やっぱり子宮内に見えない。でも尿検査の数値も高いし、もしかしたら子宮外妊娠の可能性がある。すぐに紹介できる病院探すから今から行って」先生のこの言葉に恐怖を感じた。待合で待っていると看護師さんたちがあわただしく周りの患者さんへ声をかけていく。「今救急で紹介しないといけない患者様が出られましたので、先生が受け入れ先の病院を探されますので、診療がいったん中断になります。待ち時間がでてしまうので申し訳ありませんが、お時間ご了承願います」一人一人に言いまわっていた。中には「えー?!あと何分ですか?!」とあきらかに怒っている人もいて、私のせいですみません・・と謝りにいこうか、、と思いながら肩身狭く待合に座り続けた。

私が体調悪い時「あぁ、、これが10月10日も続くのかな・・」って一瞬思ったから、赤ちゃんが存在を出せないのかなぁと色々考えていた。

「寿木さん、市立病院が受け入れ可能と言ってくれたからすぐ行って!」先生からの紹介状を持って、市立病院へ向かった。午後から仕事なんだけどな・・と半分理性が保てたのも本当に仕事をしていて良かったと思える瞬間だった。

午後の予定を変更してもらい、病院へ向かう。(赤ちゃんどこで息をしているんだろう・・)不安を抱えながらの検査。でも結果は、市立病院でも判定はされなかった。「心拍は確認できないけどHCGの数値はどんどん上がってるね。今ここで断言はできない。これかなぁ・・という小さな袋は子宮にあるからね。もう数日様子見ましょう」結局今回も待ちの状態に。検査が終わる頃、夫が仕事を抜けて市立病院へ駆けつけてくれた。

「どうやった?手術になる?」と焦る夫に、「まだわからないから、4日後に再検査だって」と伝えると「そっかぁ。でもいったん手術じゃなくて良かった」と安堵している姿を見て、赤ちゃんのことが気になる私、だけど夫は私の身体を心配しているんだなと違いを感じた。

2018.10月4週目

とうとう結果が出るであろう検査日。相変わらずエコーでは心拍は確認できなかった。そして血液検査の結果、始めてHCGの数値が下がった。「正常妊娠ではこの数値が倍々に上がり続けるが下がるというのはまず無い。残念だけど流産ということになります。」

そこから自然に流れ出るのを待つか、手術をして早く出してあげるかの選択を迫られたが何となく1週間時間が欲しくて来週以降でのオペを希望した。淡々と読み上げられる入院手続きや、報告書の内容はほとんど頭に入らなかった。

自然と稽留流産を通達された瞬間に湧き出た感情は「感謝」だった。これはほんとに綺麗ごととかではなく、涙も出なかった。大事な人たちにも報告メールをした。一番に感じたのは、これほどの痛みを感じた分、もっと人に優しくなれるなぁって思えた。私は今までの人生、辛い出来事も全部財産に変えて相手への理解のチカラにした。そうすると人生が一変した。起きている現象はコントロールできないのだから、そこに嫉妬、妬み、恨みの感情をひっ付けず、感謝、理解、優しさへ変えれるとどんな出来事も愛おしく思えるようになったから。

「ほんのちょっとだったけど、妊婦さんを経験させてくれてありがとう」

そんな気持ちで残りオペまでの1週間を過ごそうと思った。

そこからも色んな出来事が起こった。面談をさせて頂いたスタッフさんの1人がとてもタイムリーな話をしてくれたので、私の現状の話すことに。すると、涙を流して「寿木さん、大丈夫。きっとまたあなたは授かる!私の悩みってちっぽけやわ~。なんか・・大切なことに気づきました」とポロポロ涙を流してくださった。

研修に来てくださったある先生は(私の事情は何も知らない)奥さんがご懐妊した報告をしてくださった。「おめでとうございます!」と伝えると「先日神社行ってきたけど、寿木さんのことも授かるように祈っておいたよ」と言ってくださったその言葉に泣きそうだった。
昨年から、長期で研修に関わらせて頂く先生には妊活を考えていることを事前にお伝えし、いつどうなるかわからないことも承諾して頂いたうえで研修に入らせて頂いていた。1人も一瞬の曇りもなく「それはめでたいことだし、絶対子供は産んだほうがいいからそこは遠慮なく安心して妊娠してね」そう言ってくださる先生ばかりだった。

そしてこの時、やっとH先生と直接お会いできる日が訪れた。H先生は6度の流産を経験し、10年間の不妊治療の末最後は子宮外妊娠。38歳で生き方を変え医者を目指し、44歳で産婦人科医に。そして今、産婦人科医として10年お仕事をされている・・本当にすごい先生だった。H先生は会った瞬間に「あら~、こんなにかわいらしいお嬢さんだったのね!」と満面の笑みで迎えてくださり、「買い出し一緒にして、お家でご飯食べましょ!」と終始明るく話しをしてくださった。

「もう、お刺身もお酒だって飲めるわね!」と笑いながら好きな物かごに入れてね~とスーパーで一切悲観的な発言もなく、楽しそうに買い出しをされていた。家についてから、お料理の準備をして沢山話をした。こんな人生の方がいるのかと驚くことばかりだった。H先生は私の目指したい目標女性となった。最後、帰る時に「今日の話は、私からは誰にも言いません。私の夫にも言いません。だから安心してね。寿木さんが伝えたい人に伝えればいい。寿木さんの許可なく誰かに他言することはないからね」と添えてくれたこの言葉が本当にこの先生、体験した人だ・・と思った。産科系の話はとてもデリケートでナイーブな事だったりするから、知らないところで自分の情報が知れ渡っていることに不安になる瞬間もあった。そんな気持ちまでちゃんと察して、言葉にして伝えてくれるH先生は本当に患者さんの心がわかる医者だなと思った。

愛おしいなぁと思える人との出会いが沢山重なった週だった。

主治医の先生からは「ここからは楽になってくると思いますよ」そう言われていたけど、体調はまるで良くならず、むしろ吐き気も出てきて夜中は横になることもできない日が続いた。夜中、吐き気でしんどい時に隣の部屋から聞こえてくる夫のイビキには発狂しそうだった。(仕事で疲れてるだろうから、我慢しよう)始めはそう思って、イヤホンを耳に付け大音量で音楽を流して気を紛らわそうとしたが、大音量の音楽の向こうから周波数?なのか突き破って聞こえてくるイビキが気になって気になって・・我慢の限界を超え「ちょっとー!!気持ち悪いんだけど!!」とたたき起こすことに。「え?気持ち悪いの?!」と飛び起きた夫に「あんたのイビキがね!」と当たり散らしてしまう日も。

後から罪悪感にかられたが、H先生にそのことを話すと「いいのよ!旦那さんには一緒に乗り越えてもらうものなんだから、旦那さんに遠慮なんてしてたらダメよ!」と言ってもらえて救われた。

オペ前日の日、仲間の協力の元無事にセミナーも終了し家に帰った。「入院の準備しーやー」と夫に言われながらも「こんなに体調悪いままなのに、本当に赤ちゃん死んでるのかなぁ」と言い続けていた。何だか気が乗らず、保険の手続きも入院の準備もせず朝を迎えた。

2018年10月29日手術当日

朝にいやいや準備をして市立病院へ向かった。入院する個室へ通され部屋の説明を聞いていると主治医の先生がやってきて「オペ前にする準備の装置をつけるから、治療室に行こうか」とのことで、夫を病室に残し治療室へ向かった。

治療室へ向かいながら「出血はあった?お腹の痛みはどう?」と先生から質問され「先生、出血は一滴もないです。お腹も痛みはあるし、吐き気も出てきてるし・・本当に赤ちゃん死んでるのかなって思うんです・・」と伝えると先生は少し困った顔をしているように見えた。「まあ、最後にエコーで確認はしておくからね」そう言って、オペ前の最後の検査が始まった。

ここから奇跡はおきた。

「え?・・・これって・・・」先生と看護師さんがざわつく中、年配の先生も途中から来られて「これは心拍だね」この一言。「寿木さん、見て!ハッキリ心拍がみえるわ」画像を見せられた時思わず「そんな気がしてたんです」とボロボロ涙がでた。
「もう一度みんなの目で確認しておきましょう!」という先生。「心拍です!」「間違いなく心拍です!」と何人もの看護師さんが画像をチェックして「今日のオペは中止!」と先生が言った時には何人か泣いてくださる看護師さんもいて、みんなで喜んだ。

生き返った!!そう感じた。病室にいる夫に「生きてるって!!」と報告すると「手術しなくていいの?」と第一声。「良かったー!」ここでも彼は赤ちゃんのことを口にしなかった。

1日手術と入院で家族の付き添いが必須だったため、会社を休んでくれていた夫とその後すぐに安産祈願のお守りを神社へ頂きに行った。

そして医院へ報告に。キョトンとするスタッフに「奇跡が起きた!!」と報告するとみんなで泣いて喜んでくれた。これが本当に嬉しかった。一緒にこんなにも奇跡を喜んで共有してくれる仲間がいることに感謝したし、一生大事にしたい人たちだと改めて思った。

このまま奇跡が続きますように・・・

妊婦は冷やさない方がいい、と靴下をくれる人。癒されてね、と観葉植物をくれる人。ノンカフェインの紅茶をくれる人。手作りのご飯を持ってきてくれる人。沢山の人が奇跡の命を見守ってくれた。

だが、現実は変化した。

2018年10月31日夕方

家に帰ると少し出血があった。驚き、すぐに病院へ電話をかける。「すぐに来てください」との指示。ドキドキしながら車を走らせ病院へ向かった。

「まだ袋はあるけど・・・うーん、、、難しいかもしれない。この後出血が多くなって、塊が出てくる可能性があるね。。その時はすごくお腹痛くなるから安静にしておいてね」

先生の難しいかなぁ、、、の言葉は重かった。フラフラしながら診察室を出て帰ろうと歩いていると後ろから「寿木さん、大丈夫?」と看護師さんが走って追いかけてきた。振り返ったときには涙腺が崩壊。泣き崩れる私を個室に連れて行ってくれて、ずっと背中をさすってくれた。「赤ちゃんって奇跡なんだよ。着床してくれただけでもすごい奇跡だよ」そう言いながら看護師さんは「何度も病院きて、数日前には喜んだのに辛いよね・・」と共感してくれた。車の運転は危ないからと40分ほど落ち着くまで寄り添ってくれたことに、看護師さんってやっぱりすごいなぁと思った。

2018年11月1日

1日家で安静にするようにと言われ、とにかくお手洗い以外は極力動かないようにしていたけど、トイレに行くたびに流れる血。徐々に塊も出始めた。
トイレから出るたびに涙が止まらなかった。ぎゅーっと締め付けられるお腹、止まらない出血。「あぁ、流れちゃうんだなぁ・・・」悲しさがこみ上げる、何ともいえない感情に覆われた。祖父の死以来かなあ、、声を出して泣いた。一人で耐えられなくて、夫に電話するとただひたすらうん、、うん、、と何も答えず黙って聞いていた。

泣くだけ泣いたら徐々に落ち着いてきて、色んなことを感じれるようにもなった。これだけ体調が悪かったのも、赤ちゃんもしんどかったんだろうな、、それなのに一生懸命生きようとしてくれていて頑張ってくれていたんだなぁ。

愛おしさが溢れる想いに包まれた。そして夜、帰宅した夫が持ってたのは堂島ロールケーキだった(笑)ちょっと笑えた。この1カ月、夫は結局一度もお腹をさすることも(背中は何度もさすってくれたけど)赤ちゃんへ話しかけることも赤ちゃんと口にすることもなかった。子供がいるスタッフは、私のお腹をさすってくれたり「頑張って!待ってるよ!」と声をかけてくれていた。これが男性と女性の違いなのかもしれないなぁと考えていた。

そして今・・・

子供を授かるって奇跡だということ。ということは、自分が生まれたことも奇跡なんだなって感じた。そして今生きてることも奇跡の中なんだと思う。

今生きてる奇跡を無駄にしたくないなと改めて感じた。

そして実際この1カ月を振り返ると本当に必死だったし、全てが予定通りにいかなかった。目が回ってパソコンも開けなかったし、レスが遅くなることも多々ありご迷惑をかけることもあった。ワークライフバランスって・・と考えるきっかけにもなった。どこまでいっても、夫に代わってもらうこともできないのだから、女性が妊娠に対しては背負うものがあると感じた。

スタッフさんたちが「妊娠発覚した時院長に報告するのが不安」という相談はむちゃくちゃ多く、今まで何度となく聞いてきたけど、この気持ちが痛いほどわかった。喜んでくださるだろうという反面、やっぱり仕事に支障はきたしてしまうことへの申し訳なさが頭に浮かんだ。第一声なんて言われるだろうか・・その一瞬の表情を見ていることも本当によくわかった。

昔、アルバイトをしていた時に店長が妊婦のスタッフに「妊娠って病気じゃないんだから、動きが鈍くなって仕事量減るのは違うだろ」と言っていた言葉を思いだしたりもした。そのスタッフさんはもちろん退社されたが。。

この1カ月の中で、来年の大きなお仕事の話もあり「もしも妊娠がうまくいってたら難しいな」と断念したものもあった。

妊娠は計画通りにはいかない分読みようがないところもあるし、体調も本当に個人差があると思う。どこまで社会と組織が理解していくか、その中で安心して子供を産めるかは課題は沢山ありそうだなと感じた。妊婦が優遇される社会ではなく、みんなが共存するための社会って究極何なんだろう。でも子供が産まれないと社会の繁栄もないのだから、命が誕生するというのはとても大事で尊いことだと思う。

今回、私には難しかったけどだからといって、周りの妊婦さんを全く妬ましく感じることは無かったし、むしろこのまま順調に育つといいなぁと祈れるほど愛の感情が沸いたのも、普段の自分の人生を幸せに生きていれたからだと感じた。

どこまでいっても、自分の人生を自分で生きる。

何があるから幸せで無いから不幸ではなく、どんな人生も本当に幸せだなぁと思えたら最強だと思った。今回の体験を生かして、また自分が出来ることから世の中に還元していこうと考えています。

きっと皆さんにも大事な大事な役割があって、今この奇跡の中に生きているんだと思います。素晴らしいことですよね。

「赤ちゃん、ありがとう!あなたのお陰で愛を沢山もらいましたよ♡」

2018年11月2日 寿木 藍


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