死と直面した数日間で感じた感情

寿木 藍

私のたったひとりのおじいさん。

たった一人の、唯一無二の存在の人。大好きな祖父が他界しました。

今の感じている気持ちを残しておきたくて、書くことにしました。

あまりにもあっという間でした。全身に癌がみつかり、夏は迎えられないかもしれないというお医者さんから告げられてから、たった一か月。

出来るだけ側にいて、時間を過ごしたくて、時間が空けばすぐに広島の祖父のもとに来ていました。

こんなに、顔を見るだけで愛しい気持ちがこみ上げてくるのかと日々思っていました。

「また来るからね、ご飯いっぱい食べんさいよ」

数日前、手を握ってそう声をかけた瞬間、本当に次も会えるのだろうかと不安で押しつぶされそうになる気持ちと共に、涙が止まらなくなった。

おじいさんの前では涙を絶対見せたくなかったのに・・。

おじいさんは「ありがと、ありがと」と言いながら目が真っ赤になっていった。おじいさんが私に見せた最初で最後の涙だった。

私が生まれた時から、母方のおじいさんしか居なかったので私が「おじいちゃん」と呼ぶ人は世界でたった一人。

広島で原爆が投下された時、医大生だった祖父。両親を亡くし、一回り以上年の離れた弟と妹を育てるために、退学し市役所で働き始めました。戦時中の話はほとんどすることはありませんでした。思い出したくもない、苦しすぎる記憶なんだろうと小さいながらに私は感じていました。

お酒が大好きで、お刺身が大好きで、健康オタクで、頑固で、まじめで、そして優しくて。

本当に大好きなおじいちゃんでした。

癌が憎い・・・そう思っていた私ですが、おじいさんの部屋で一冊のノートを見つけました。そこには「妻が一人になった時の場合」と書かれ、家計や将来のことが色々書かれていました。

家のことなどすべて祖父は一人でやりくりし、祖母はそんな祖父の隣で、常に一緒にいました。

憎かった癌ですが、そのノートを見たときにおじいさんは自分の死に向けて、準備ができるんだなと考えが変わりました。

やせ細り、歩くのもままならない中、身の回りの整理をどんどんこなしていました。すべては残された祖母のためだと思います。

原爆で傾いた築100年を超える家の修理をお願いしていたり、植木の手入れをお願いしていたり、亡くなる5日前には自分でお寺さんに電話をかけていました。自分はもう長くないから、と。亡くなった時の準備まで自分でしていました。

一切の弱音も吐かず、最後の最後まで全身痛む体で、お医者さんに言われたストレッチをしていました。

もう、周りのみんなが生き様を見させてもらい、これ以上ない勉強をさせてもらいました。

この一か月は本当に苦しくも、愛しい複雑な感情と向き合いながら必死でした。そして祖父が他界して数日たった今、私の中で大きく変化をかける感情が芽生え始めています。

人生、いつか終わります。

死を意識した時、後悔のない人生を生きたい。とやっぱり思います。

おじいさんの生き様を見て、物凄く衝撃を受けた今、私は決断ができました。

他者評価ゼロで私は私の人生を生きる、私が大切にしたい事に時間を費やすと。

大好きなおじいちゃん、天国で見守っていてください。今まで、ありがとう!

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