愛着と執着の違いに気づくこと

a0790_001177

「手放したくない」と感じるものが増えれば増えるほど、苦しくなる日々。そう感じることはあなたはいくつありますか?

もしかするとそれは、役職?職場?人材?給料?・・・いかがでしょうか。

全く違う相談を受けていましたが、私には同じ話のように聞こえてきたので、それは何かを考えていました。

≪相談者Aさん≫
現在の職場で遣り甲斐が見いだせない。毎日楽しくないが、給料が良いので残っている。メリットはそれだけ。転職しても今と同じくらいの給料は見込めないと思うから転職に踏み切れない。仕事をするうえで、給料は大きなウエイトをしめているから、そこが満たされているなら我慢して続けた方がいいのだろうか・・。

≪相談者Bさん≫
一部の従業員が不満ばかり発信して、職場の空気が悪い。どうにかして、職場の空気を変えたいと思っているが、何から手を付けたらいいのかわからない。不満を言ってくる従業員にはお手上げだが、今人手不足だから辞められると困る。仕事はできるし辞めないために、給料を少し上げるなどして残ってもらったほうがいいのだろうか・・。

相談を受け、話を聴いていて私が感じたのは、「それって執着してない?」ということです。

執着とは、物事に固執しとらわれることです。AさんもBさんも問題の論点は違うところにあるのでしょうが、聞いていてなぜそんなに執着しているの?と思えてきたのです。給料(お金)に執着するAさん、従業員に執着するBさん、どちらも手放したくない恐怖心でいっぱいです。

手放したら成り立たないものって? 

私たちは手放したら生きていけないものってあるのだろうか?確かに無いと不便だったり、一瞬困ることはあると思います。ですが、生きていけなくなるほどのものは無いんじゃないか、とも思うのです。

自分は自分の中にあり、私たちは自立している唯一無二の存在だと、最近特に感じます。誰かがいないと生きていけないなんてあり得ないです。こんなに満たされた状況なのに、強欲にあれもこれも手放したくない!という発想になると、とたんに執着心となる。

手放したっていいじゃないか、手放した分だけ新たなものが入ってくるもの。

恐怖心でいっぱいのAさんもBさんも健全な選択ができなくなっているんだなぁと客観的に見る私は感じたことです。自分が当事者になると、執着していることに気づかないものかもしれません。そこで、ふと手放したくない感情に襲われた時自分に問いかけたらどうだろうか。

「それは執着してない?愛着を持った選択?」

愛着とは、慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる事を言いいます。ここには恐怖心とは逆の愛情が存在します。愛を根底に判断や選択ができれば、たとえ手放す選択であろうが憎しみや嫉妬などの感情が湧かないと思います。

そして愛着があるものは、とても大切に扱います。それが例え目に見えないものであっても、それが自分の手元とは違うところへ移動しようが、無下に扱うことはないと思います。

逆に乱暴にしか扱えず、執着して手放さないように必死になっているものは、さっさとそんな恐怖心から解放されたほうが楽ですよ。どんどん執着心は手放して、本当に必要な大事なものは大切に扱う、「執着」と「愛着」を意識してみませんか?

そんなことを気づかせてくれたAさんとBさんに、改めて感謝です。

ライン

☆ 講演・セミナー研修のご依頼や、ご意見やその他お問い合わせは、こちらからどうぞ♪

 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です